建築や神社、お寺などでよく、柱に対して「木は生きている」「木は呼吸している」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

法隆寺の柱は生きている!?日本人と木の深い関係

 日本人は古代から自然万物に神様が宿ると考えてきました。「八百万(やおよろず)の神」という言葉が指し示すように、山や海、木や岩や滝などにも神様が宿ると言われています。

 古代日本人は狩猟や採集で生活しており、米の伝来によって農耕生活へと変化しました。そして、農耕生活になると狩猟とは違い、人間の力の及ばない自然災害や天候不順に苛まれました。これら現象を神の怒りと捉え、そこからあらゆる自然の営みに神を見出し、崇拝する文化が始まったとされています。

 上記のように、これは日本特有の信仰文化であります。この考え方は、現在の美しい日本の伝統文化を創り、その文化に魅了された世界中の観光客が日本を訪れています。「生きている」と表現される「木」の柱の所以は、この文化の名残りであると考えられます。

法隆寺の柱は生きているのか

 「木」というのは不思議な存在です。葉を落として枯れ木のように立つ冬の姿は、生きているのか死んでいるのかさえわかりません。それでも、何千年と生きる長寿な生き物でもあります。

 木は最古なもので4000年以上生きているものもあり、日本の屋久杉は2700年以上生きているとされています。

 奈良の法隆寺は世界最古の木造建築物として知られています。コンクリートの建築物でも100年ともたないのですから、木造の建築物が1400年経った現在でも、朽ちる事なく現存しているのは驚きです。

 千年の木は柱になってもさらに千年生きると言われています。では、本当に生きているのでしょうか。

柱は呼吸しているのか!?

 実際には伐採された木はその時点で生命を終えています。柱はそれ以上成長したり、生命活動を行なっているわけではないのです。

 柱が生きていると言われる所以は、柱になった後も反ったり、あたかも呼吸しているかのように空気中の水分を吸収したり排出したりしているためです。

 この吸湿と放湿の性質が木造建築の調湿機能を担っています。夏場の室内の湿度を低下させ、また冬の結露を防いでいます。また熱を伝えにくい性質も持ち合わせており、熱を遮断したり、暖かさを保つことができています。

 日本人は古来より自然の中で生き、そして共存してきました。そうすることで木の特性を理解し、生かし、生かされてきたと考えることができます。

最後に -林業と木の関係-

 私たち林業家も山に入り作業を行う前に必ず、山の神にお祈りをしています。私たちにとって山の神とは、山に宿る神の総称で、仕事場である山を守る神とされています。また、山の神は禁忌に厳しいとされ、8月16日は禁忌日として山での作業を控えています。

 祭の日 (主に東北・北海道地方では12月12日) には、山の神が木の数を数えて歩くことから、その邪魔をしないように山に入ることが禁止されている。

 このように、この日は山での仕事を行わないなど、山を神聖な場所として考える習慣が残っています。

 以上が「法隆寺の柱は生きている!?日本人と木の深い関係」の解説になります。最後まで読んで頂きありがとうございます。

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